東京西法律事務所

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2016年3月10日木曜日

(続)「花押」による遺言書は有効か

9日付日経新聞web刊によると、当ブログの以前の記事で取り上げた花押によって作成された遺言書を有効と認めた裁判例(福岡高裁那覇支部平成26年10月23日決定)について、最高裁が弁論を開くことを決定したとの報道がなされております。

----以下引用


「花押」遺言書、有効判決見直しか 最高裁が上告審弁論 

2016/3/9 22:04
 
 最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)は9日までに、押印の代わりに戦国武将らのサインとして知られる手書きの「花押」を用いた遺言書の有効性が争われた訴訟の上告審弁論を4月22日に開くと決めた。最高裁は通常、二審の結論を見直す際に弁論を開く。遺言書を有効とした二審・福岡高裁那覇支部判決が見直される可能性がある。
 遺言書は沖縄県の男性が不動産を次男に相続させるとの内容。遺言書は署名と押印が必要だが、署名と花押が記されただけだった。無効と主張する長男と三男に対し、次男が有効性の確認を求めて提訴していた。
 一審・那覇地裁は生前に男性が花押を使用していたことなどから「押印と認めるのが相当」と遺言書は有効と判断、二審も支持した。〔共同〕
----引用ここまで

記事にある通り、最高裁で弁論が開かれることは、一般的に、高裁の判断が覆される可能性があることを意味しております。


ところで、この原審裁判例を参照したところ、原審段階では、花押が押印として認められるかについては、特段の判示はなされておらず、むしろ第一審(那覇地方裁判所 平成26年3月27日判決)に詳しく述べられていました。

そこで、第一審判決を引用します。

----以下引用(出典:LLI/DB 判例秘書登載)

花押が「押印」として認められるかについて

 民法968条1項が自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにある(最高裁平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁)。


 そこで検討すると,まず,認印による押印の場合よりも花押を用いる場合の方が偽造をするのが困難であるといえ(甲43),花押を用いることによって遺言者の同一性及び真意の確保が妨げられるとはいえない。また,前記1(2)アのとおり,花押が文書の作成者・責任者を明らかにするために用いられていた署名や草名が簡略化されたものであり,重要な書面において署名とともに花押を用いることによって,文書の作成の真正を担保する役割を担い,印章としての役割も認められている。

 そのような花押の一般的な役割に加え,前記1(2)イ及びウのとおり,△△家においても重要な文書において花押が用いられていたことやAも契約書等の書面においては署名と印章を用いていたものの,色紙への記載に花押を用いるなどしていたこと,本件遺言書1に認められるAの花押の形状等も併せかんがみると,Aによる花押をもって押印として足りると解したとしても,自筆証書遺言である本件遺言書1におけるAの真意の確保に欠けるとはいえないし,花押が日常的に用いられるものとはいい難いことを考慮しても,前記趣旨に反するものとはいえない。

  以上からすれば,本件遺言書1におけるAの花押は,自筆証書遺言における押印と認めるのが相当であり,本件遺言書1が押印を欠き無効であるとはいえない。なお,本件遺言書1には誤記が訂正されているところ,その訂正について民法968条2項所定の方式を遵守していないが,明らかな誤記の訂正であって本件遺言書1の効力を左右するものではない(最高裁昭和56年12月18日第二小法廷判決・民集35巻9号1337頁)。


(読みやすいように、文章ごとに段落を区切っています。)

----引用ここまで

つまるところ、第一審判決が花押による押印を認めた理由は、
①花押の方が印鑑よりも偽造が困難である
②花押は、遺言者の出身家において、印鑑と同じ社会的役割を果たしてきた
という2点にあるようです。

ところで、当ブログでは、花押による遺言書を有効と認めた高裁の判断について、「思い切った判決」であると述べ、これまでの下級審判例の流れとは異なったものであることを指摘して参りました。

これは、上記2点の理由のうち、①の点について、疑問があると考えているからです。以下は私見です。

もともと、署名は、人の筆跡の同一性(人の習慣)が、本物の署名であることを担保しています。

これに対して、捺印は、同じ印章を用いて押印された印影は、別の機会に押印したものであってもほぼ同一のものになるという物理的現象を利用したものです。

このように、署名と捺印は、いずれも文書が本物であることを担保しようとしている伝統的な方法でありながら、異なるメカニズムを利用していることに留意すべきであると思います。

そして、民法は、自筆証書遺言を作成する際には、署名と捺印の両方を要求していますが、このことは、要するに、遺言書を作成する際には、これら異なる2つのメカニズムの双方を用させることで、遺言書が本物であることを慎重に担保しようとしたものではないかと思われます。

ところで、花押は人が手で書くものであって、その性質上どちらかといえば捺印よりも署名に近いものであると言えます。

そうであるとすれば、花押と署名だけで有効に遺言書を作成することができるとすると、実質上、署名のみで遺言書を作成することができることに限りなく近づくことになるため、問題があるのではないでしょうか。

最高裁の判決がどのような結論を取るのか、そしてその理由付けは何であるのか、について引き続き注目して参りたいと思います。

↓追記しました。最高裁判決後の記事です。 【本ブログの関連記事】
(続々)「花押」による遺言書は有効か